- 2016.02.13 Saturday
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最初に断っておきます。この記事は∞ごとではないです。
あたしが感じたちょっとしたこと、のわりにはなんか意外にも重い話になっちゃってるかも・・・。
ご注意を!
自分がされて嫌なことは相手にもしない。
当たり前のように思ってきたけど、あたしがされて嫌なこと、と相手にとってされて嫌なこと、が違う場合はどうなんでしょうね。
誰だって嫌だと思うこと、不快に感じることはあるけど、それが必ずしもみんながみんな同じように感じるわけじゃない。
それでも、人は想像力を働かせて、「もし自分がされたら・・・」って考えて自分の行動の良し悪しや善し悪しを決めてると思う。
理解しあえなくても、受けとめて、尊重しあう。
それが結局のところ最善の解決策だと思ってたけど、やっぱり感じ方を共有できないっていうのは難しい気がする。
尊重しあえるだろうか。
あたしにとってはどう考えても何がどう転ぼうと「正」だとしても、誰かにとっては違うことがある。
そこで衝突したとき、どうするのがいいんだろうな。
話し合っても、わかりあえないときは絶対にある。
平行線は変わらないのか。
それなら自分が信じる方をとるしかないのか。
でも、それで本当にいいんだろうか。
なんてことを昼間ツイッターを巡りながら考えていました。
いやはや人とわかりあうことは本当に難しい。
昨日、「この人とは仲良くなれないな。なりたくないな」と思う人に出会って、でもそんな考え方も凝り固まった先入観に支配されてるのか?とか思って、悩むほどじゃなかったけど、ちょっといろいろ考えてしまいました。
その仲良くなれないと思った人は、敬語が使えない人でした。
自分より明らかに年上の人に対して、最低限の「ですます」が使えない、というのはあたしには理解できない感覚です。
初対面であればたとえ自分より年下の人に対してであっても敬語は必要じゃないだろうか。
それが相手に対しての礼儀、誠意のように思う。
相手との関係性やその場に応じて、敬語がいらない場合もある。
でも、昨日のことで言えば明らかに敬語が必要な場だった、とあたしは思う。
あたしが思う、だけで、きっとその人はそう思ってないんだろう。
あたしとその人の間にある決定的にも思えるほどの思考の違いはおそらく解消できない。
なら、どう対応するべきなのか。
その人と会話をすることになったとして、あたしは必ず敬語を使う。年齢は多分あたしのほうが上のような気がするけど、あたしにとっては年齢は関係ない。今は敬語を使う必要がある場だ、と思うから、敬語で話す。
その人は敬語を使わない。
あたしはそういう態度に不信感を抱く。不快に思うかもしれない。
そうなったらあたしの態度にもそういう不快な感じが出るかもしれない。
それは相手にも伝わる。自然と相手もあたしに不快感を抱く。
お互い不快感を持っていたら、きっとそれ以上つきあおうとは思わないだろう。
あたしとその人の関係はそこから進まない。
これでいいんだろうか?
これじゃ自分の価値観の中でしか生きていけないんじゃないか?
でも、我慢して自分とは違った価値観を持ってる人とつきあう必要ってあるんだろうか?
発見はあるかもしれないけど。
そもそも必要性を考えてる時点で違うのかもしれない。
むむむ・・・書いてるうちに自分がちっちゃい人間に思えてきた。
別に病んでるわけじゃないし、おちてるわけでもないよ。
ただ、ちょっと考えちゃったのです。
だから書いてみました。
たまにはこんなんもいいよね。
久しぶりにちゃんと文章書いた気がするー。